2011/04/13
稚内と札幌とガソリンについて
「ちょーーっとおーーっ」
非難されているのは一瞬でわかった。
高速道路でハンドルを握る僕に向かって、後部座席から妻が大声を上げるのだ。
妻の横には2歳の息子。きっと「小さい子乗せてるんだからスピード緩めなさい」と続くのだろうと思ったら違った。
「ガソリン残ってないじゃないっ」
所用あって家族で札幌から稚内に向かう途中の、道央道だった。家を出る時点でガソリンが少ないのは知っていたが、言われてパネルを見直すと、確かに燃料メーターは目盛りの一番下に達する直前だった。
場所は深川ジャンクションの手前である。ついさっき、給油所併設サービスエリアとしては最北の砂川SAを左に眺めて素通りしたばかりだ。
つまりこの先、高速に給油所はない。次のインターチェンジで一般道に降りるだけでも、おそらく10キロ以上は走らなければならない。軽自動車だから燃費は悪くないのだが、果たしてもつだろうか?
寝ている2歳児の横で、妻は押し黙ってスマートフォンを操作し始めた。地図ソフトで次のインターチェンジと給油所を調べているのは間違いない。顔は見えないが、漂ってくる空気が青ざめている。
「だめ。電波状態が悪くて地図が全然読み込めない」。無理もない。ここは都市部から遙かに離れていて、しかも機種がソフトバンクだ。まともに使えるわけがない。
車は深川ジャンクションから分岐して、日本海側の留萌方面に向かう高規格道に入った。
燃料メーターの針が一番下まで来ても、本当にガス欠するまでには多少余裕があるはずだ。僕は妻に「大丈夫。あと20か30キロは余裕で走れるよ」と言ってから、本当に大丈夫かどうか考えてみた。
簡単である。ひとまず次のICで降りて、きっと近くにあるはずのガソリンスタンドに寄ればいい。場所は料金所の人に聞けばいい。それであっけなく解決だ。
しかし、気がつけばここは無料の高規格道であった。つまり料金所がない。もし、運悪く次のインターがへんぴな場所で、気付かず降りてしまったら、ここは北海道だから人も車もほとんど通らない。スタンドを探して何キロも走っているうちに万事休す、となる危険もある。
うーむ、大丈夫じゃないかもしれない。しかし、大丈夫だと断言した以上、これでもかというぐらいに大丈夫そうに振る舞わなければならないのである。
僕はとっさに、
「果てぇ~しぃいないぃ~」
と松山千春の代表曲「大空と大地の中で」を歌い始めた。できるだけゆったりと、余裕のある感じを出したつもりである。
歌詞の2番を歌い始めたところで、ずっと無言だった妻が言った。「次のインターで降りて。国道に入って」。どうやらスマートフォンの電波が通じたらしい。僕の歌を聴いていた気配はなかった。全然。
約5分後、インターを降りるなり道路脇にJA系スタンドの看板が掲げられていた。無事、給油した。
ああ良かった良かった、と思っていたら、3日後のこと。
今度は帰路である。
稚内市を抜ける直前、また妻に言われたのである。
「ちょっとガソリンっ」。
車を出すとき、すでに少ないことは知っていた。改めて見ると目盛りの一番下、「E」ラインの5ミリ上ぐらいだった。
だが、3日前にギクリとしたときに比べれば断然残っている。ガソリンスタンドがある稚内市街地からは遠く離れてしまったものの、今度は高速道じゃないから次の街で給油すればいいのだ。
仮にメーターが最下線に達してもしばらくは走れるはず。おそらく、ここから40~50キロは大丈夫だろう。
次にスタンドがあるのは天塩(てしお)町という、道の駅もある街だ。「まったく大丈夫だから」と妻に言った直後、道路標識が前に見えてきた。
「天塩 58km」
ふーむ。
「...大丈夫じゃないかも」と言うと、妻の表情がたちまち険しくなった。「出発するときにガソリン見てなかったの?」
「見てたけど、天塩、やっぱ遠いね。やるねえ」
「まあ、あなたが前日にガソリンを満タンにしておくなんてまずないだろうけど」
「わかってますな」
ちなみに稚内―天塩を結ぶ日本海沿いのエリアは「サロベツ原野」と呼ばれ、笹の群生する広野が数十キロ続く。ここを、海岸線に並行して一本の幹線道路がまっすぐに伸びているのである。
今から稚内の中心部まで引き返せば、時間のロスは1時間ではきかない。かといって進めば原野の一本道でガス欠し、日本海をバックに延々妻の説教を食らうことになるかもしれない。判断のしどころである。
「いや、大丈夫だ。このまま行くからね」
そう言ったのには根拠があった。このサロベツ原野の一本道は、信号がほとんどないのである。3日前、ここを1時間近く走って、たしか信号は2回しか出てこなかった。
頻繁に赤信号で止まっては再発進を繰り返す都市部の道に比べて、リッター当たりの走行距離は格段に長くなるはずである。
もっとも燃費が良さそうな速度を保ち、車はひた走る。妻は珍しく何も言わず、車内の空気は鉛のようだ。2歳児が騒いでくれればまだ雰囲気も明るくなるであろうが、また、こんなときには口を開けて寝てやがるのである。
燃料メーターがなぜか予想より速いペースで「E」に近づいていく。
皮肉にも空は快晴。青く広がる空の下で日本海がグリーンに輝き、雪の残る利尻富士が海の向こうにくっきりその姿を見せているが、窓を眺める余裕はない。
重い沈黙に耐えられず、昔のBOOWYのヒット曲「NO.NEW YORK」の有名な歌詞「星になるだけさ」の部分を変えて「JAFを~呼ぶぅだけぇえさぁあ~」と何回か口ずさんでみたが、空気を変えることはできなかった。むしろもっと重くなった。
天塩まであと15キロほどを残し、燃料メーターはほとんど一番下の線まで来た。そのとき対向車線の遙か先に、パトカーが見えた。こちらに向かってゆっくりゆっくり車体が大きくなってくる。
僕は妻に言った。
「わざと猛スピード出して、あのパトカーに捕まえさせて、頼んでガソリンわけてもらうのはどうだろうか」
妻は即答した。「警察に払う罰金のカネがあればJAF呼んでガソリン入れてもお釣りが来る」
「...そうだな」。サイレンを鳴らしていないパトカーは静かに右側を過ぎ去っていった。
サロベツ原野を抜け、車が天塩町にさしかかったところでメーターは完全に「E」に達した。
あとは町の中心部にあるはずのガソリンスタンドにたどりつくまで走れるかどうか。運次第とも言える。
中心部であることの証、コンビニが左手に出てきて、信号のある交差点を何回か曲がった。すると、意外にすんなり、スタンドの看板が右手前方に見えてきたのである。
勝利であった。かくして天塩町の出光系スタンドにて、無事にガソリン補給を終えたのであった。妻も「ああホッとした」と安堵の声をもらした。
札幌に向かって再び走り始め、スタンドでもらったレシートを妻に渡して見てもらった。「満タンで、何リットル入ったと書いてある?」と聞くと、後部座席から「21リットルだって」と返ってきた。
あれ?この車、23リットルぐらい入ったこともあるんだけど。
ガソリン、本当は全然ギリギリじゃなかったらしい。
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