2011/04/03

呑気な札幌でありたい

 
 先週前半は東京に取材に行っていた。東京滞在は約1カ月半ぶり。東日本大震災後は初めてである。

 東京電力エリアの電力不足による影響は、札幌にいると想像できない深刻さだった。

 節電のため街のネオン類の灯りが極端に減り、屋内も照明を落としているため薄暗い。やはり暗い電車内で気づくのは、車内広告が激減していること。JR山手線でさえ、つり棚の上の広告枠が半分も埋まっていなかった。
 コンビニの商品棚は空きだらけ。飲食店もサービス業も、閉店時間繰り上げを知らせる紙を入り口に貼っている。消費者の側も、宴会は自粛ムードだとか。

 僕がいた2日間は体に感じる余震が一度もなかったが、これは運が良かったらしく、ほぼ毎日続いているとのこと。地震酔いの人もたくさんいるそうだ。

 会う人会う人、停電と節電、余震、そして原発の話になる。誰もが、どことなくこの状況に疲弊している。「いま東京が元気ないんですよ」と嘆く人がいて、本当にそうだなあと思った。
 むろん、家も職場も人命も失ってしまった被災地の苦難に比べれば深刻さのレベルは全然違うのだが、それでも、こんなにちぢこまった東京を見たのは初めてだった。

 東京に比べて札幌は気楽である。

 地震発生翌日の12日以降、余震はまったく感じない。福島原発からは相当な距離がある。ススキノのネオンが一部消えているなど節電ムードは確かにあるが、そもそも北海道電力が東電に電気を売ることはできないらしく、言ってみれば申し訳程度の節電だ。スーパーやコンビニの物不足も、さほど極端ではない。
 東京から戻り、札幌の街はなんと明るいのだろうと思った。

 しかし、しかしだ。札幌は明るい方が、むしろいいんじゃないか。
 被災地じゃなく、電力不足にもなっていない札幌が、活気を失っちゃいかんのじゃないか。
 被災地以外の全地方に言いたい。

 うっかり普通にテレビや新聞雑誌に接していると、暗い気持ちになりがちだ。
 こうしたメディアは宿命的に、首都圏住民の気分を反映する言葉・コンテンツを最も多く流通させてしまう。つまり、停電への不安や、東電に対する契約者としての怒りと苛立ち、自分の使う電気を東北人のリスクのもとで調達していた申し訳なさ、といった独特のマイナス感情が、札幌にもバンバン流れてくるのである。
 被災地のことが心配な上に、首都圏の鬱積した思いも目にすることになり、気持ちがどんどん暗くなってしまう。

 「テレビ新聞は確かにそうだけどSNS(ネット)は別だよね、SNSは個人の情報発信の集合だから首都圏一極集中にはならないよね」と言う人がいるかもしれない。だが、現実にはSNSも大して変わらない。

 Twitterを例にとれば、有名人のどうってことないつぶやきをリツイートしまくる人が少なからずいる現実を思い起こしてほしい。日本の有名人の大半は東電エリアに住んでいる。結果、彼らのつぶやきの流通量が一番多くなる。
 そもそも日本のTwitterユーザーの過半数は首都圏在住者なのだから、ランダムにフォローしていけば、首都圏発の言葉が最も多くタイムラインに表示される。

 かくして全国に、東京の暗さやピリピリ感が、電波や紙面やネットを通して伝播することになる。

 札幌は地方の大都市の1つとして、東京の重苦しさに引きずられるべきでないと思う。
 節電が無意味とは言わないが、市民はいつも通りにお金を使って、経済を回していくべきではないだろうか。こんなときだからこそ敢えて、「呑気な札幌」に期待をしたい。
 

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