2011/02/28

Обычные японцы об Украине (ウクライナのイメージ)

 
 このブログは日本とロシア、その次にウクライナの人が読んでくれてます。
 ウクライナと言えば僕の大好きな総合格闘家・ヒョードルの出身地であり、もう試合してないけどやはり僕の大好きな格闘家、イゴール・ボブチャンチンの母国。というわけで個人的に好感度高い国なのです。でも正直日本では認知度低いと思う。ボブちゃんの独特のフックは「ロシアンフック」なんて呼ばれてたし。

 僕はウクライナ語は全然知りません。でもウクライナ人の多くはロシア語が読めるらしいので(好んではいないはずだが)、率直な印象を書いてみました。炎上しないことを願う。ロシア語はもちろんTwitterのお友達に添削してもらってます。

Обычные японцы об Украине. В опросе приняли участие 100 человек.
[Это не настоящее исследование. Плод ВООБРАЖЕНИЯ Ёсимуры.]

«Знаю название» 95 человека
---(статьи счёта)
--- «Знаю, что это такая страна» 35
---«Думаю, что это одна из республик Российской Федерации» 25
---«Страна, или часть России... не знаю» 35

«Точно знаю, где расположена Украина» 5

«Знаю имя "Виктор Янукович"» 3
---«Знаю, как выглядит Виктор Янукович» 0.5

«Знаю, только как выглядит Юлия Тимошенко» 20
---«Знаю имя, и как выглядит Юлия Тимошенко» 4

[примечание] Украйнская(тоже русская) имя сложный для японецев, поэтому запомнят только лицо.

«Знаю о существовании украинского языка» 20
---«Думаю, что украинский и русский язык — это почти одно и то же» 17

Для меня Украина — родина кикбоксёра "Ігора Вовчанчина". Я очень люблю Вовчанчина.

Дуже дякую!!

## Благодарю @filachan за поддержку. Всё ошибки объясняютсь Ёсимура.

2011/02/25

ネット媒体「日露ビジネスジャーナル」開始

 
 情報解禁。

 ネットだけで読める媒体「日露ビジネスジャーナル」の実験運営を始めました。

 http://www.nrbj.info/

 上記のURLから飛んで「サイトについて」などを読んでいただければわかりますが、日本-ロシア間のビジネスにまつわる身近な話を載せていこうとしています。
 掲載コンテンツはまだ少ないものの、協力してくれる方々のおかげで、しばらくは毎日更新(平日のみ)できるぐらいのネタのストックがあります。

 率直に言って大衆受けするテーマじゃないのでアクセス数は稼げませんが、社会的な意義を信じて、ゆっくりじっくりやっていこうと思います。

 これからどうするのかって?
 これもサイトに書きましたが、あまり先のことは考えていないのです。
 一体どうなることやら。

 でも、わくわく。
 

2011/02/17

風と光と四十の私と


 好きな作家を聞かれたら坂口安吾と答えている。

 高校時代に「堕落論」を読んで以来、あこがれの存在だ。僕は文学少年ではなかったが、坂口安吾だけは全集を買った。
 大学生のとき京都市伏見区に住んだのは、安吾が長編「吹雪物語」を書くときに伏見に住んでいた、との話が影響している。20代のころは安吾を意識して丸眼鏡をかけていたこともある。

 困難から逃げられない状況になると、堕落論の一節である「人は正しく墜ちる道を墜ちきることが必要だ」という言葉が勝手に脳裏に浮かんでくる。
 それぐらい作品中の言葉は僕に焼き付いているのだが、正直に言うと、ここ数年は作品を読み返すこともなく、作家自身のことはしばらく意識しなくなっていた。

 2日前、ある取材のために新潟入りし、久しぶりに思い出した。新潟は、坂口安吾が生まれ育った土地だ。生家の跡地近くにある記念施設「安吾 風の館」の存在を地図で知り、気がついた。

 僕は昨秋に東京の新聞社を辞め、いまは札幌を拠点に時折取材旅行のような形で各地に足を運んでいる。新潟に来たのはこの一環だ。もし新聞社にいれば今も東京で仕事をしているはず。ここで安吾を思い出したことになんだか宿命めいたものを感じ、空き時間に施設を訪ねることにした。

 訪問は結局、新潟最終日の今日になってしまった。朝、施設の公式サイトを読んでいるうち、説明文中の「2月17日」という文字が目にとまった。今日だ。なぜ、今日の日付が載っているのかわからないまま読み進めた。

 1955年2月17日。56年前の、今日。
 今日は、坂口安吾が亡くなった日だったのだ。

 昼前にバスで行ってみると施設はこぢんまりしており、静かだった。僕以外の客は1人だけ。市内中心部から離れた寺に安吾のお墓があり、ファンや関係者はそこに集うらしい。
 時間の関係で墓参はあきらめ、肌寒い展示室で、壁に貼ってある年表を読む。

 安吾は24歳から東京の大田区蒲田に住み始めている。その後転々とするのだが、家族は長く蒲田にいたようだ。僕はつい半年前まで、大田区に住んでいた。住所には「大森」という地名が入っていた。蒲田のすぐお隣である。

 安吾が代表作「堕落論」「白痴」を発表したのは39歳。誕生日が来れば40歳になる年で、今の僕と同じだ。僕も今、始めようとしていることがある。

 単なる偶然なのはわかっている。だが、興奮を禁じ得ないまま、氏名入りの原稿用紙や写真パネルを眺めて歩いた。

 安吾の有名作の1つに「風と光と二十の私と」という随筆がある。心の病を患って薬物を常用し、周囲ともトラブル続きで苦しい人生を送った安吾が、唯一例外的に平穏だった若い時期を回想する内容だ。
 施設をあとにするころ、急に読み返したくなって、夕方に新潟駅前の書店で文庫本を買った。覚えていなかったのだがこんな一節があった。

 「人の命令に服することのできない生れつきの私は、自分に命令してそれに服するよろこびが強いのかも知れない」

 僕も人に命令されるのが嫌いな人間だ。フリーランス志向なのも、何らかの影響を受けていたのだろうかと思えてくる。

 勝手な妄想であることを承知で言えば、坂口安吾の魂が、今のこのタイミングで、僕に「がんばれ」と言ってくれているような気がしたのだ。
 いや、安吾のことだ。「がんばれ」ではなく「苦しめ」かもしれないけれど。

 

2011/02/09

ゴミ出しの一風景

 朝8時半。マンションのすぐ前にあるゴミ捨て場に、不燃物を捨てに出た。
 晴天とはいえ、気温はマイナス4度。部屋着に薄いダウンジャケットを羽織っただけではやはり寒く、定位置にゴミ袋を置いて足早にマンション玄関に戻った。

 出入り口はいわゆるフロントオートロックだ。ドアを開けるためマンションの鍵を差し込もうとしたら、なぜか鍵穴に入らない。手元を見たら、自分が持っていたのは車の鍵だった。

 やっちまった。マンションの鍵と間違えて車の鍵だけ持って出てきてしまった。
 さっき妻子を送り出したばかりで、部屋には誰もいない。大家さんに連絡しようにも携帯電話も持っていない。
 まあいい。朝だし、ほかの部屋の住民が出てくるだろう。誰かがドア開けたときに笑顔で通ればいい。そう考え、立って待つことにした。

 1分。3分。5分。
 隣の道で、駅やバス停に向かう人たちの、雪を踏む音がかすかに響いている。
 おかしい。このマンションは少なくとも10世帯ぐらいは住んでいるはずだが、人の気配がしない。
 ガラス越しにマンションのホール内を見る。1階に止まっているエレベーターの照明が省エネ機能で暗くなっている。

 ん? お? 下っ腹が急速に重くなってきた、
 便意である。元気一杯に押し寄せてきた。
 おおっ、んんっ。
 ガラスドアに、誰もいない空間で角度30度のお辞儀をしてプルプル振動している男が映っている。自分だった。

 10分。15分。
 だんだん、足先が冷えてくる。自分が立っているのは玄関前の、横に郵便受けが並んでいるような空間で、一応ガラス扉1枚で外気とは隔たっているのだがやはり零度近いはずだ。
 厳しい。そろそろ奥の手を使うか。
 実は最初から思いついていたのだ。インターホンでお隣の部屋の人に事情を話して、ロックを解除してもらう方法。
 正直近所付き合いと言うほどの交流はないが、引っ越したときにご挨拶には伺っているし、その後も何度も駐車場などで顔を合わせている。乳児がいたはずなので、おそらく誰か大人が部屋にいらっしゃるだろう。

 お隣の部屋番号を押した。
 しばらく呼び出し音が響き、スピーカーから「カチャッ」と音が聞こえた。ああ助かった。
 だが、音の続きはなかった。呼び出し時間が長くなり、無反応だから自動的に回線が切れただけだった。

 そのときである。

 おおっ。ぬおおおっ。
 便意の第2波が襲いかかってきた。さっきと桁違いに勢いを増している。大腸で実力をつけてきた野郎どもが勝負をかけてきた。
 んんんんんんっ。
 もはや、この場で用を足すという選択肢を検討せざるを得ない状況になってきた。マンションの玄関前に人糞が落ちていたらマズいだろうか? いや、人糞ではなく犬の糞だと言い張ればいいのではないか? しかし、このあたりで犬を飼っている世帯を見たことがない...。

 名案が浮かんだ。
 外に出て雪の上で素早く用を足すのだ。そして、周囲の雪をかけて隠してしまう。こうすれば、人のか犬のか判別は難しいはず。完全犯罪だ。

 しかし。しかしである。
 用を足した後、どうやって、自分の尻を拭けば良いのだろうか? 北海道の冬は、木の葉っぱなどない。雪ばかりなのだ。捨ててあるゴミ袋をあされば紙が見つかるかもしれない。だが、今日は不燃物の収集日だからな...金属で尻を拭くのも人類の経験として悪くないかもしれないが、冷たいだろうし...。
 解決策を思いつかないまま下腹の張りに耐える。ガラスドアに、60度のお辞儀をしたまま固まった男が映っている。

 ...そうだ。自分は車の鍵を持っているではないか。
 車でまずは近所のガソリンスタンドに寄ってトイレを借り、そのあと妻の職場に押しかけて、妻が持っている部屋の鍵を借りるのだ。

 すでにゴミ捨てから30分強が過ぎていた。いっこうに、人の出入りする気配はない。このまま待っていても当分変化はないだろう、と確信めいたものが芽生えてきた。ならば、早く次の行動に移った方がよい。

 前屈みになりながら駐車場に向かう。その途中で、お隣の部屋の車が停まっているのに気付いた。
 お隣さん、実は部屋にいるのではなかろうか。乳児の世話でてんてこ舞いになってるときにインターホンを押してしまい、それで応答してもらえなかったのじゃないか。
 もう一度だけインターホン押してみよう。それで出なければあきらめよう。

 引き返して、入り口ドアの前に着いた瞬間、ごくたまに見かける20代後半ぐらいの女性が、今から仕事に出かける雰囲気で向こう側に立っていた。
 ブーンと音がして、いつものようにドアが開いた。

 例えて言うなら「外出して今戻ってきたところです、ちょうどタイミングが同じになっちゃいましたね、えへへ」みたいな顔で会釈して、建物に入った。

 フロントオートロックのマンション、気をつけましょう。