2011/06/07

ウラジオ発 / Из Владивостока

 
 無事に渡航し、ウラジオストク経済サービス大学(通称ВГУЭС=ヴグゥエス)内の、寮ともホテルともつかない建物に寝泊まりしています。
 半年後に帰国するまで当ブログの更新を止め、ウラジオから別の形で情報発信します。ロシアで人気のブログサービス「Livejournal」を主に使いながら、各種SNSも実験します。以下、リンクです。
 引き続きよろしくお願いいたします。
・Livejournal「浦潮ブログ / ЁСИМУРА во Владивостоке」
・Twitter 日本語@shinjiyoshi/ロシア語@nippon_shin
・Facebook個人ページ(見るにはFacebook利用登録が必要)
 

2011/05/29

東京よりウラジオの方が近いんすけど

 
【おしらせ】
 吉村慎司は2011年6月2日夜から、ロシア極東のウラジオストク市に滞在します。6カ月間の、いわゆる短期語学留学です。今の挨拶レベルのロシア語力を、買い物レベルに引き上げます。

 目的はもちろん言葉だけでなく、極東の生活を知ること。現地の人と知り合うこと。
 ロシアに留学する人の大半はモスクワやサンクトペテルブルク、つまりヨーロッパ寄りのロシアで見識を深めるのですが、さまざまな理由で、僕は一度旅行したこともある極東の港町を選びました。
 「さまざま」の中身は、今後少しずつ説明したいと思ってます。


 上の地図を見てください。
 「ウラジオストク留学か、いいねえ。ところでそれどこ?」と何人もの方から聞かれるので、お示しします。近いのです。
 今この文章を書いている札幌から、ウラジオストクまで直線距離で約750キロ。東京より100キロも近いです。ざっくり言えば、札幌と富山とウラジオを線で結ぶと正三角形っぽくなります。
 僕が育った鳥取から見ると、青森と大体同じ距離ですね。
 朝鮮半島も中国もすぐそこ。めっさ日本海地域です。

 ちなみに東京からウラジオを見れば、長崎の五島列島や北海道の知床半島とほぼ同距離です。北京や上海、台北までの、ほぼ半分。
 ロシア極東は「忘れられたアジア」なのです。

 留学先は「ウラジオストク国立経済サービス大学」という、日本のロシア屋さんたちにもあまり知られていない大学にしました。定番の「極東連邦総合大学」ではありません。

 ウラジオ滞在中は当ブログを休止し、かの国で超メジャーなブログサービス「Livejournal」で雑文を書きます。現地の写真をたくさん載せ、いままでよりロシア語記事を増やすつもりです。
 ロシア語については、一般の方にとっては意味不明なキリル文字で、読める方にとっては語学レベルの低さでどっちみち苛立たせること請け合いですが、ここは厚顔無恥をやらせてください。

 経済情報っぽい内容は、第2次実験を始める日本語Webメディア「日露ビジネスジャーナル」に随時書きます。ご注目ください。

 Всем здравствуйте.
 Второго июня я поеду во Владивосток. и буду учиться русскому языку 6 месяцев в ВГУЭС. (Владивостокский государственный университет экономики и сервиса)
 В России, я буду писать блог в "Livejournal". спасибо.
 

2011/05/25

今日で日露ビ第1次実験終わりにつき

 
 ああ、前回から日にちがずいぶん空いちゃったよ。
 個人運営で2月25日に始めたネット媒体「日露ビジネスジャーナル」は、今日、5月25日でひとまず3カ月の実験を終わります。いま、最後の原稿を準備しているところ。
 そして10日後には、単身ウラジオストクにいる予定です。帰ってくるのは12月初旬、のはず。

 「日露ビ」を通してめっっさ多くのことを経験させてもらい、記者としても運営者としてもいくつかのテーマで書きたくてしょうがないのだけど、今はその作業に時間を割くことは許されないわけで、じゃあいま何を言おうとしているのかというとこれ。

 「5月30日(月)夜に札幌駅付近で飲み会やるから、ロシアビジネスに興味ある札幌圏の人、誰でも参加してください!」

 はい、宣伝なのです今回の投稿は。
 僕としては、「日露ビ」について少しでも多くの人から、生の感想、ご意見・ご批判を賜りたいと思っております。また、これをある種の交流の場にして、まあユルーい感じで名刺交換しましょうよ皆さん、という趣旨もあります。

 以下、日露ビ本サイトからの抜粋。

■5月30日(月)に、札幌で弊ジャーナルのオフ会をやります。
 30日18時半メド、JR札幌駅付近。店は直前に決めます。
 参加希望の方は27日(金)正午までに、氏名(実名)と、あれば所属、それからメアドなどの連絡先を明記した上で、
・mado.guchi@nrbj.info までEメール ※「@」を半角に直して
・Twitterの @nichiro_bj にダイレクトメール
・Facebookで「吉村慎司」にメッセージ
のいずれかの方法でお知らせください。

 予感では、店は安めの居酒屋になるのではないかと。会費は3000円前後かな?と。詳細は遅くとも28日(土)のうちに、お知らせいただいたメアドまたは連絡先にお送りします。

 ほんとにどなたでも歓迎ですから、気軽にご連絡くださいませ。
 

2011/05/02

[北陸その4](おまけ)富山の朝

 
 北陸取材最終日の朝は、富山市中心部のビジネスホテルだった。

 前日までに各地で興味深い話を聞けた。この日の午前中に富山市内で最後のアポが入っており、昼すぎに空路北海道に帰るスケジュールだ。よし、最後ビシッと気合い入れて行くぞ、押忍、的な気分であった。

 朝食を食べ終え、出かける準備で、インナーの白いシャツを着ようとしたのである。
 僕はワイシャツを着るときは大抵、どこでも売ってるヘインズの白Tシャツを内側に着ている。ごちゃごちゃになった旅行トランクから白シャツを引っ張り出して、パッと広げたらなぜか手からシャツがすり抜けてしまった。
 もう一度パンッと張ったら、布の幅が30センチ弱しかない。
 手にしていたのは2歳の息子の肌着だった。胸の部分で、2センチ大のヒツジさんの絵が微笑んでいた。

 何日か前に洗濯物を畳んだときに紛れ込んでいたのを、よく確認せずにトランクに詰めてしまったらしい。白シャツはちょうど日数分だけ持ってきたはずなので余分はない。
 仕方なく、前日に着ていたものに再び腕を通したのであった。

 取材先には内緒である。
 

[北陸その3]キャッスルイン金沢の若き取締役は男前である。女性だけど。

 
 前々回の記事「山下家512号室」の投稿直後、「山下家 号室」という妙な検索ワードでの閲読があった。山下家か、大江戸温泉物語の関係者によるものと推測している。
 企業の広報担当者やマーケティング担当者にとって、SNSやブログで自社についてどんな書き込みがなされているか調べるのは普通の仕事だ。山下家、仕事してるじゃないか。肝心なところ以外で。

 前置きが長くなったが北陸紀行第3回はキャッスルイン金沢という、JR金沢駅すぐ近くのホテルの話。北陸で引っ張りすぎという声もあるので今回で終わり。

 藤橋由希子さんという。僕よりずっと若いが、キャッスルイン金沢の取締役である。いわゆるオーナー一家の人だ。

 このホテルは東日本大震災発生の6日後、1室1泊2500円という採算度外視価格で被災者受け入れを発表した施設だ。どこからの要請も補助もなく、周囲の同業も誰一人そんなことをしていない中で、受け入れを言い出したのが藤橋さんである。

 震災直後、テレビで避難所の様子を見て涙が止まらなかったという。ろくな食事もなく風呂にも入れないまま寒い体育館で過ごす被災者。自分たちに何かできるかを考えた結果だった。慣れないニュースリリースを自ら書き、報道経験者の知り合いに添削してもらって3月17日に受け入れを発表した。直後から取材が殺到し、自らテレビカメラの前にも立った。

 地元メディアが中心だったが、取り組みを知った人が東北に連絡するなどして、被災した家族連れなどが次々訪れる。また、メディアを見た地元住民から物資寄付などの申し出が矢継ぎ早に舞い込んだ。ホテルには連日、衣類や生活雑貨が届いた。

 役所の罹災証明書がなくても、何か住所を証明できるものがあればOKとした。「被災者でない人が偽って泊まりに来るかもしれない」という意見もあったが、「着の身着のまま逃げてきた人に書類入手の手続きを求めていては受け入れに時間がかかりすぎる」と押し切った。

 その頃の様子は、藤橋さんが書いている以下のブログに詳しい。

キャッスルイン金沢・被災者受け入れに関するブログ
http://plaza.rakuten.co.jp/castleinn/diary/201103170000/
ホテルの公式サイト
http://www.castle-inn.co.jp/index.html

 サイトでは「ゆっきぃ」という可愛らしいニックネームで登場する。しかし、本人はもうちょっとエネルギー溢れる雰囲気である。

 藤橋さんは生まれも育ちも金沢とのこと。ホテル業は決して楽ではないと思うが、地方の若い経営者というだけで期待をしたくなるのであった。
 

2011/04/27

[北陸その2]山下家512号室・室内編

山下家(やましたや)の話。前回からの続き。


 ドアを開けると、間取りがくっきりとL字を描いている小部屋だった。窓が小さく、どことなく壁がくすんでいるが、その程度のことは覚悟しているのである。

 洋室である。入り口から見て左側の壁に、立ち仕事用の作業カウンターのような天板が設置されていて、ここにテレビや内線電話、ポットなどが乗っている。
 テレビのすぐ横に施設案内のバインダーがあったので見ると「チェックイン 15:00~」の下に「チャックアウト 11:00まで」と、わざとではないかと思うような間違いが目に入る。

 カウンターの下には小型冷蔵庫と金庫が並ぶ。窓のそばにベッド。あとは、クローゼットとユニットバスというつくりだ。
 持ってきたノートPCで若干作業したいので、ネットのLANが使えればいいのだが、これは予約の段階で設備がないことを知らされていた。

 ま、いいんじゃね?と思った。激安シングルルームで、快適に過ごしたいなんて思う方が間違い。ネットにつながらなくてもとりあえずPCのキーボードを叩ければ十分だ。
 そう思った瞬間に気がついた。

 座る場所がないのである。

 部屋のどこにもイスがない。

 ベッドに座るにも、カウンターと離れているので作業は無理。イスのない洋室に通されたのは生まれて初めてかもしれない。

 さあてどうしたものか。
 この高すぎる天板にPCを置いて、立ってキーを打つか。うーん厳しい。和室やオンドルじゃないので床に座り込むのは嫌。ベッドに座って膝上にPCを載せる手もあるが、ちょっと不安定すぎて非現実的だ。
 この部屋で一体どうやって、普通の体勢でキーボードを叩くか。難問である。

 難易度が高すぎる。あっさり降参してフロントに電話した。

 「作業したいのでイスと机のある部屋に換えてもらえないか」
 「あいにくシングルは満室となっております」
 「簡易のイス・机セットがあれば借りたい」
 「可能かどうか、調べてみます」
 「最低限イスだけでもいい。天板の位置が高いから、高さのあるやつ」
 「調べますのでお部屋でお待ちください」

 数分後、薄緑色のイスがやってきた。確かに普通より少し高さがあるかもしれない。昭和中期の喫茶店にでもありそうな、座面が丸っこいクッションで低い背もたれのついた、1本足のイスである。
 重そうに運んできた和服の女性従業員は、どことなく「面倒な客につかまっちゃった」というオーラを漂わせていた。己の不運を呪っている風でもあった。

 「この旅館、ほかの部屋なら机イスあるの?」とこの女性に聞くと、「別の階にはあったかもしれませんが...どうだったかな...。うちはビジネス仕様じゃないので。あとは和室の大きな部屋になっちゃうんですよ」との答えだった。

 従業員が去ってから、あらためて座ってみた。これでも天板が少し高いが、キーを打つぐらいやれなくはない。
 ひとまず解決を見たわけだが、フロントで渡されたフロアマップを見て、やはり、と納得した。

 ここ、少なくとも開業当初は一般の客室じゃなかったはずだ。

 物置か、あるいはツアー添乗員や運転手用の部屋だったのだろう。場所といい部屋の狭さといい、団体客用の部屋と違いすぎる。


 事前に聞いていた話では、ここ山下家は、かつては高級な旅館だったそうだ。しかし景気低迷もあって経営が行き詰まり、2年前に、東京・お台場の大江戸温泉物語の系列に入ったとのこと。

 大江戸温泉物語は僕自身日経時代に何度も取材したことがあるのだが、周知の通り、カジュアルな施設である。安く気軽に、仲間と楽しく、というノリだ。
 加賀・山代温泉の老舗旅館もそのノリに変わったのだ。

 新しい経営者が、それまで客室ではなかった小部屋を、少しでも売り上げを生むシングルルームとして使うことにしたのだろう。
 しかし、山代温泉に初めて来た県外客を、1人だからといってこの部屋に通していいのか? 安いから問題ないだろうと考えたのか?

 そんなことを思いながら、ユニットバス内の洗面に向かったら、歯磨きセットが置かれていないことに気がついた。
 ひょっとして有料で、チェックイン時に買う仕組みだったのだろうか。僕がうっかりしていたのかもしれない。

 食事のついでにフロントに寄り「部屋に歯ブラシのセットがないんだけど」と言ったら、男性が「え、なかったですか?すみません」とセットを差し出してきた。
 なにをかいわんや、である。

2011/04/22

[北陸その1]山下家512号室・ドア編

 
 週前半、取材で北陸にお邪魔した。
 いろいろ経緯があって、初日、石川県加賀市の山代温泉街にある大型旅館「加賀の本陣 山下家」に泊まった。
 部屋番号書いちゃうよ。512号室。どうか検索エンジンに引っかかりますように。

 チェックイン時にフロントで鍵を渡され、エレベーターで5階に上がった。
 客室フロアである。絨毯の廊下を歩き回って部屋を探したが、見つからんのである。512号室が。どこにも。

 515号室のドアはすぐに見つかった。
 当然、3つ先が自分の部屋だろう。数歩歩くと右手に514号室のドア。さらに歩くと513号室が出てきた。その先は曲がり角になっている。

 曲がった瞬間に我が部屋の入り口、のはず。だが視界に入ってきたドアには「503」と書かれている。

 おぉ、意表をついてきよったな、と感心しつつ歩を進めると、次は502、その横は501号室。その先は非常口用の鉄扉だった。504から512が、ないのである。

 一瞬、悪寒が走った。自分は怪談の世界に入り込んでしまったのではないか。存在しない部屋のカギを受け取ってしまったとしたら、フロント係の女性は何者だったのか?

 最初に見つけた515号室の前まで引き返した。落ち着いて周りを見渡そうじゃないか。よーく見たところ、廊下の向かい側にも客室の入り口があった。
 大きくて、しつらえが豪華なので宴会場の類だと思いこんで見過ごしていたが、504と記されている。隣には505号室の入り口が見える。

 しかし505号室の横は壁しかなかった。壁の先は、宿泊客が浴衣姿でガヤガヤと行き交うメーン廊下になっている。

 よもや、隠し扉か?
 客を試そうってわけか。面白いじゃないか。
 忍者屋敷的な仕掛けを探しながら再び501号室の先まで歩いてみたが、新たな扉は見つからない。まさかと思って天井を見上げたが、普通に照明が光っているだけだった。

 目の前の行き止まりに、何の表示もない無機質な鉄扉。まさかこの向こう? いやいやいくらなんでもそれはないんじゃないか。いや、しかし。金属のノブをひねって重い扉を押すと、そこは非常階段だった。

 これは降参せざるをえないかも。携帯でフロントに電話して「部屋どこ?」と言えばゲームオーバーである。

 エレベーターの降り口に戻って、出直そう。
 その途中、メーン廊下まで戻ったときである。来るときには気付かなかったのだが、向こう側の壁に物置か従業員控え室のような雰囲気のドアがあって、ここに、なぜか「512」と表示されているのである。

 大浴場につながる通路がすぐ脇にあり、フロア内でも、客の往来が最も激しい場所の一つだ。

 うひゃあ、と思ったが、朝夕食(バイキング)付で1泊5700円という、温泉としては破格の安さである。しかも、こんな変な場所にある部屋に泊まるなんて、滅多に経験できるものではない。

 ドアノブに鍵を差し込んで回した。すぐ後ろを、浴衣姿の中高年の集団が大声で話しながら歩いていく。この集団から見れば、物置に備品を取りに入る従業員としか思えないであろう。


 部屋に入ると、また別の驚きが待っていたのである。

後編に続く
 

2011/04/19

Сакура и Пиво (桜とビール)

 
  Сакура -- символ весны.

  В Японии сакура цветет в апреле,
  люди видят её красоту и понимают, что наступило хорошее время.

  Японцы очень любят сакуру.Каждый год производитель пива в Японии печатает цветы сакуры на банках пива, которые продают в марте и апреле.


  Но на Хоккайдо сакура начинает цвести только в мае, ведь это самый холодный район нашей страны, поэтому в городе Саппоро еще сакура не цветет, но я понял что весна наступила, когда зашёл в винный магазин в супермаркете,
  ......и я купил.


 еще фотографировал сверху.


  Содержимое?
  Да,конечно все выпил.
 
## Благодарю @Predatorsha за поддержку. Всё ошибки объясняютсь Ёсимура.

2011/04/13

稚内と札幌とガソリンについて

 
 「ちょーーっとおーーっ」
 非難されているのは一瞬でわかった。
 高速道路でハンドルを握る僕に向かって、後部座席から妻が大声を上げるのだ。

 妻の横には2歳の息子。きっと「小さい子乗せてるんだからスピード緩めなさい」と続くのだろうと思ったら違った。
 「ガソリン残ってないじゃないっ」

 所用あって家族で札幌から稚内に向かう途中の、道央道だった。家を出る時点でガソリンが少ないのは知っていたが、言われてパネルを見直すと、確かに燃料メーターは目盛りの一番下に達する直前だった。

 場所は深川ジャンクションの手前である。ついさっき、給油所併設サービスエリアとしては最北の砂川SAを左に眺めて素通りしたばかりだ。
 つまりこの先、高速に給油所はない。次のインターチェンジで一般道に降りるだけでも、おそらく10キロ以上は走らなければならない。軽自動車だから燃費は悪くないのだが、果たしてもつだろうか?

 寝ている2歳児の横で、妻は押し黙ってスマートフォンを操作し始めた。地図ソフトで次のインターチェンジと給油所を調べているのは間違いない。顔は見えないが、漂ってくる空気が青ざめている。

 「だめ。電波状態が悪くて地図が全然読み込めない」。無理もない。ここは都市部から遙かに離れていて、しかも機種がソフトバンクだ。まともに使えるわけがない。

 車は深川ジャンクションから分岐して、日本海側の留萌方面に向かう高規格道に入った。

 燃料メーターの針が一番下まで来ても、本当にガス欠するまでには多少余裕があるはずだ。僕は妻に「大丈夫。あと20か30キロは余裕で走れるよ」と言ってから、本当に大丈夫かどうか考えてみた。

 簡単である。ひとまず次のICで降りて、きっと近くにあるはずのガソリンスタンドに寄ればいい。場所は料金所の人に聞けばいい。それであっけなく解決だ。

 しかし、気がつけばここは無料の高規格道であった。つまり料金所がない。もし、運悪く次のインターがへんぴな場所で、気付かず降りてしまったら、ここは北海道だから人も車もほとんど通らない。スタンドを探して何キロも走っているうちに万事休す、となる危険もある。

 うーむ、大丈夫じゃないかもしれない。しかし、大丈夫だと断言した以上、これでもかというぐらいに大丈夫そうに振る舞わなければならないのである。
 僕はとっさに、
 「果てぇ~しぃいないぃ~」
 と松山千春の代表曲「大空と大地の中で」を歌い始めた。できるだけゆったりと、余裕のある感じを出したつもりである。

 歌詞の2番を歌い始めたところで、ずっと無言だった妻が言った。「次のインターで降りて。国道に入って」。どうやらスマートフォンの電波が通じたらしい。僕の歌を聴いていた気配はなかった。全然。

 約5分後、インターを降りるなり道路脇にJA系スタンドの看板が掲げられていた。無事、給油した。

 ああ良かった良かった、と思っていたら、3日後のこと。

 今度は帰路である。
 稚内市を抜ける直前、また妻に言われたのである。

 「ちょっとガソリンっ」。

 車を出すとき、すでに少ないことは知っていた。改めて見ると目盛りの一番下、「E」ラインの5ミリ上ぐらいだった。
 だが、3日前にギクリとしたときに比べれば断然残っている。ガソリンスタンドがある稚内市街地からは遠く離れてしまったものの、今度は高速道じゃないから次の街で給油すればいいのだ。

 仮にメーターが最下線に達してもしばらくは走れるはず。おそらく、ここから40~50キロは大丈夫だろう。
 次にスタンドがあるのは天塩(てしお)町という、道の駅もある街だ。「まったく大丈夫だから」と妻に言った直後、道路標識が前に見えてきた。

 「天塩 58km」

 ふーむ。

 「...大丈夫じゃないかも」と言うと、妻の表情がたちまち険しくなった。「出発するときにガソリン見てなかったの?」
 「見てたけど、天塩、やっぱ遠いね。やるねえ」
 「まあ、あなたが前日にガソリンを満タンにしておくなんてまずないだろうけど」
 「わかってますな」

 ちなみに稚内―天塩を結ぶ日本海沿いのエリアは「サロベツ原野」と呼ばれ、笹の群生する広野が数十キロ続く。ここを、海岸線に並行して一本の幹線道路がまっすぐに伸びているのである。

 今から稚内の中心部まで引き返せば、時間のロスは1時間ではきかない。かといって進めば原野の一本道でガス欠し、日本海をバックに延々妻の説教を食らうことになるかもしれない。判断のしどころである。

 「いや、大丈夫だ。このまま行くからね」
 そう言ったのには根拠があった。このサロベツ原野の一本道は、信号がほとんどないのである。3日前、ここを1時間近く走って、たしか信号は2回しか出てこなかった。
 頻繁に赤信号で止まっては再発進を繰り返す都市部の道に比べて、リッター当たりの走行距離は格段に長くなるはずである。


 もっとも燃費が良さそうな速度を保ち、車はひた走る。妻は珍しく何も言わず、車内の空気は鉛のようだ。2歳児が騒いでくれればまだ雰囲気も明るくなるであろうが、また、こんなときには口を開けて寝てやがるのである。

 燃料メーターがなぜか予想より速いペースで「E」に近づいていく。
 皮肉にも空は快晴。青く広がる空の下で日本海がグリーンに輝き、雪の残る利尻富士が海の向こうにくっきりその姿を見せているが、窓を眺める余裕はない。

 重い沈黙に耐えられず、昔のBOOWYのヒット曲「NO.NEW YORK」の有名な歌詞「星になるだけさ」の部分を変えて「JAFを~呼ぶぅだけぇえさぁあ~」と何回か口ずさんでみたが、空気を変えることはできなかった。むしろもっと重くなった。

 天塩まであと15キロほどを残し、燃料メーターはほとんど一番下の線まで来た。そのとき対向車線の遙か先に、パトカーが見えた。こちらに向かってゆっくりゆっくり車体が大きくなってくる。

 僕は妻に言った。
 「わざと猛スピード出して、あのパトカーに捕まえさせて、頼んでガソリンわけてもらうのはどうだろうか」
 妻は即答した。「警察に払う罰金のカネがあればJAF呼んでガソリン入れてもお釣りが来る」

 「...そうだな」。サイレンを鳴らしていないパトカーは静かに右側を過ぎ去っていった。

 サロベツ原野を抜け、車が天塩町にさしかかったところでメーターは完全に「E」に達した。
 あとは町の中心部にあるはずのガソリンスタンドにたどりつくまで走れるかどうか。運次第とも言える。

 中心部であることの証、コンビニが左手に出てきて、信号のある交差点を何回か曲がった。すると、意外にすんなり、スタンドの看板が右手前方に見えてきたのである。

 勝利であった。かくして天塩町の出光系スタンドにて、無事にガソリン補給を終えたのであった。妻も「ああホッとした」と安堵の声をもらした。

 札幌に向かって再び走り始め、スタンドでもらったレシートを妻に渡して見てもらった。「満タンで、何リットル入ったと書いてある?」と聞くと、後部座席から「21リットルだって」と返ってきた。

 あれ?この車、23リットルぐらい入ったこともあるんだけど。
 ガソリン、本当は全然ギリギリじゃなかったらしい。
 

2011/04/03

呑気な札幌でありたい

 
 先週前半は東京に取材に行っていた。東京滞在は約1カ月半ぶり。東日本大震災後は初めてである。

 東京電力エリアの電力不足による影響は、札幌にいると想像できない深刻さだった。

 節電のため街のネオン類の灯りが極端に減り、屋内も照明を落としているため薄暗い。やはり暗い電車内で気づくのは、車内広告が激減していること。JR山手線でさえ、つり棚の上の広告枠が半分も埋まっていなかった。
 コンビニの商品棚は空きだらけ。飲食店もサービス業も、閉店時間繰り上げを知らせる紙を入り口に貼っている。消費者の側も、宴会は自粛ムードだとか。

 僕がいた2日間は体に感じる余震が一度もなかったが、これは運が良かったらしく、ほぼ毎日続いているとのこと。地震酔いの人もたくさんいるそうだ。

 会う人会う人、停電と節電、余震、そして原発の話になる。誰もが、どことなくこの状況に疲弊している。「いま東京が元気ないんですよ」と嘆く人がいて、本当にそうだなあと思った。
 むろん、家も職場も人命も失ってしまった被災地の苦難に比べれば深刻さのレベルは全然違うのだが、それでも、こんなにちぢこまった東京を見たのは初めてだった。

 東京に比べて札幌は気楽である。

 地震発生翌日の12日以降、余震はまったく感じない。福島原発からは相当な距離がある。ススキノのネオンが一部消えているなど節電ムードは確かにあるが、そもそも北海道電力が東電に電気を売ることはできないらしく、言ってみれば申し訳程度の節電だ。スーパーやコンビニの物不足も、さほど極端ではない。
 東京から戻り、札幌の街はなんと明るいのだろうと思った。

 しかし、しかしだ。札幌は明るい方が、むしろいいんじゃないか。
 被災地じゃなく、電力不足にもなっていない札幌が、活気を失っちゃいかんのじゃないか。
 被災地以外の全地方に言いたい。

 うっかり普通にテレビや新聞雑誌に接していると、暗い気持ちになりがちだ。
 こうしたメディアは宿命的に、首都圏住民の気分を反映する言葉・コンテンツを最も多く流通させてしまう。つまり、停電への不安や、東電に対する契約者としての怒りと苛立ち、自分の使う電気を東北人のリスクのもとで調達していた申し訳なさ、といった独特のマイナス感情が、札幌にもバンバン流れてくるのである。
 被災地のことが心配な上に、首都圏の鬱積した思いも目にすることになり、気持ちがどんどん暗くなってしまう。

 「テレビ新聞は確かにそうだけどSNS(ネット)は別だよね、SNSは個人の情報発信の集合だから首都圏一極集中にはならないよね」と言う人がいるかもしれない。だが、現実にはSNSも大して変わらない。

 Twitterを例にとれば、有名人のどうってことないつぶやきをリツイートしまくる人が少なからずいる現実を思い起こしてほしい。日本の有名人の大半は東電エリアに住んでいる。結果、彼らのつぶやきの流通量が一番多くなる。
 そもそも日本のTwitterユーザーの過半数は首都圏在住者なのだから、ランダムにフォローしていけば、首都圏発の言葉が最も多くタイムラインに表示される。

 かくして全国に、東京の暗さやピリピリ感が、電波や紙面やネットを通して伝播することになる。

 札幌は地方の大都市の1つとして、東京の重苦しさに引きずられるべきでないと思う。
 節電が無意味とは言わないが、市民はいつも通りにお金を使って、経済を回していくべきではないだろうか。こんなときだからこそ敢えて、「呑気な札幌」に期待をしたい。
 

2011/03/28

我が内なるアルカトラズ

 
 昨夜、友達の紹介で、ある本の著者と東京でお会いした。酒を飲みながら、いくつかの有益なアドバイスをいただいた。
 超有意義な飲み会を終え、いい気分で安ホテルに1人戻る途中、襲われたのである。
 大腸に潜伏していた、我が内なる暴漢たちであった。たっぷりの水分を武器に奇襲をかけてきたのである。

 下っ腹で何かがギューとよじれたのが、彼らの宣戦布告だった。実際に音が「キュウ」と鳴った気がしたがよく覚えていない。
 彼らの目的は、脱獄だ。アルカトラズ島からの脱出である。迎え撃つ側としては、封じ込めが至上命題である。ロックアウトされたキャンパスというか、鎖国というか、呼び方にはこだわらない。

 あわててはならぬ。乱時ほどそうだ。
 見事な急襲により、例えるならまずは牢屋のカギが壊されたようだが、まだ廊下を制圧されたわけではない。そして、その先にある建物の出入り口には達していない。仮に建物を突破したとしても、娑婆(しゃば)への出口には門兵が控えているのである。そこに至るまでには若干の時間があろう。
 宣戦布告を受けた場所はJR駅で、ホテルはここから徒歩約10分。微妙だが、おそらく間に合う。いや、間に合わせなければならないのである。

 落ち着いて腹の中のよじれをなだめつつ、歩いた。ところが2分ほどで、腸内で手榴弾が炸裂した。いま体を動かすとダメージが広がり、一気に門まで詰め寄られかねない。
 足を前に出せない。止まるしかない。
 手榴弾は次々に投げ込まれる。酔っぱらってテンションが上がっていることもあり、「おおおおおおっ」と声を出した。負けないぞ、という意思表示でもある。

 道行く人がこっちを振り返ったようにも思えたのだが、よく覚えていない。
 あっけなく廊下が制圧されたことを理解した。残された時間は思ったより短い。

 と、ここで、すっと彼らの攻撃が止んだ。
 チャンスである。足早にホテルに向かう。
 意外なほど、そこからしばらく小康状態が続いたのである。ホテルとの距離は順調に縮まっていく。もうすぐだ。この様子なら大丈夫そう。余裕を見せつけてコンビニに寄ってやろうか。と、コンビニの扉に手をかけた瞬間であった。

 ヒュー、という短い音が腹の中で鳴り、腸内で大規模土砂崩れが起こった。目の前が白くなった。ぴたりと手を止めた。「んんんんんんんんんっ」とうなった。
 例えるなら、建物を出入り口も含めて攻略され、暴漢が大挙して敷地内に飛び出してきた感じだ。非常警報がけたたましく鳴り、我が門を守る、門兵に緊張感が走る。

 実際に数人が門兵に殴りかかってきた。門兵は痛みに耐えて固く門を閉めている。もはや最後の砦である。

 暴漢も態勢を整えようと思ったのか、少し攻撃の手をゆるめた。
 今を逃すと最悪の事態が起こる。ほとんど小走りで、ホテルに駆け込んだ。

 脂汗を流しながら部屋の前までたどりつき、カギを開けようとしたとき、暴漢が総攻撃に入った。全員固まって、娑婆への門に突撃してきたのである。門を支えながら苦悶する門兵。それはまさに最終決戦、クライマックスであった。

 カチャッという音とともに部屋のドアを開け、すぐさまトイレに座りこんだ。そして門兵に撤退を命じた。

 滝。

 その音は、暴漢の勝利宣言にも聞こえた。
 たっぷり3分ほどかけて、暴漢は娑婆に出た。

 しかし彼らに娑婆の空気を味わう時間はほとんどなかった。数秒後、一瞬で下水管に追いやられたからである。
 まったく戦いとは、非情なものである。
 

2011/03/26

ネット媒体立ち上げ1カ月、ぐらいかも

 
 日露ビジネスジャーナルの開始から、だいたい1カ月である。
 2月25日に初公開したのだが、2月の日にちが少なくて正確にはまだ丸1カ月たっていないので、3月25日を持って「わーい1カ月」と騒いでしまうとハッタリ君になってしまう感じがして、このあたりは曖昧でいいかなと思う。

 開始2週間で東日本大震災が起こったため、サイトのアクセスデータは参考にならない。アクセスが想定より多すぎた。震災がらみで1本、ケタ違いに閲覧(=PV)を集めた記事があり、ほとんど異常値になっているのである。
 詳しくは日露ビジネスジャーナルにて31日(予定)の記事更新で書くのでお楽しみに。

 ヒントを言うと、人物モノの記事だ。実は単なる「いい話」ではなくてビジネスチャンスの要素を含んでて、事実この人物の活動に目をつけてアプローチをしている企業がすでにあるのだが、まだ書ける段階ではない。
 まあ、これ以上はブログではよそう。

 当たり前だがやっぱりそうだなあと思うのが、読み手は人それぞれで、皆言うことが違うってことだ。

 ある人から「なんだビジネスの話ばっかりじゃないか」と言われ相手にしてもらえなかったと思えば、また別の人からは「サイトのどこにもビジネスがないじゃないか」と苦言を呈された。
 どちらも意地悪を言っているのではなく、率直にそう思っているようだ。同じものを見ても、人の感じることはさまざまである。

 僕としてはもっとビジネス色を強めていきたい。時間はかなりかかるが、提供できる情報の質・量ともに何段階も上げていくつもりだ。

 単にPVを稼ぎたいだけなら、手をつけるべきことがいくつもある。
・スポーツネタを書く
・北方領土問題を書く
・クレムリン話を中心に、いわゆる国際ニュースを書く
・見出しに「中国」の文字を入れられる記事を書く

 どれも必要なことだ。だけど、これらを最優先にはしない。これらはマスコミや、広告目的のサイトがやればいい話なのだ。
 日露ビジネスジャーナルは当面、日本での対ロシアビジネスや、交流の現場にいる人の姿、その声を伝えるメディアになりたいと思っている。その上で、役に立つデータや、ちょっとした話のネタにできるような面白い話題を載せていきたい。たった今そうなっていないかもしれないが、少なくとも今、そっちを向いて走っているところだとは言える。

 もちろん、まだやりたいことの1割もできていない段階だ。まずは実験期間のあと2カ月でどこまでやれるか。力まず、焦らず、でも緩まず、てことで、できることをしっかりやっていきたい。

 ところで、お声かけをいただいているにもかかわらず、収入を伴うライター仕事が全然できておらず申し訳ありません。もう態勢整いますので....
 

2011/03/16

猫の所在

 おとといの出来事である。
 そう、ホワイトデーであった。

 たまたまこの日の午後、用事があって1人で札幌市中心街に来た。妻に、なんらかの糖分を買って帰らねば家庭内に暗雲がたれこめること確実である。
 札幌・地下鉄大通駅の手前にある百貨店、丸井今井の地下に立ち寄った。

 とたんに、赤だの黄だの銀だの、見慣れない色が視界に飛び込んでくる。チョコレート菓子の試食を呼びかける女性販売員の声が響き、大学生風から高齢者まで、そこかしこで男たちが包装箱を抱えているではないか。
 もちろん東北関東の大震災で祝い事を自粛するムードはあるが、札幌は直接の影響は少ない。やはり商戦の熱気はあった。

 和・洋の菓子が並ぶフロアを歩きながら、すぐに自分の出遅れを悟った。どのコーナーを攻めるのか考えていなかったのだ。作戦なしに戦場に飛び込んでしまったのだ。
 クッキーか、チョコか、クリーム系か。変化球で和菓子という選択肢もあろう。獲物を決めずに狩りに来たようなものだ。

 ふと左側を見ると、青とも緑ともつかない外装ビニールに包まれた、4センチ四方ぐらいのクッキーが並んでいる。クッキーの中にはチョコレートが薄く挟まれている。いいかもしれない。
 だが、外装に記されたマークに見覚えがある。「白い恋人」だった。家庭不和の原因になりかねない。

 眉間にしわを寄せながら人混みをかき分け、フロアをぐるぐる偵察して1分ほどたったとき、陳列用冷蔵ケース内に可愛らしい猫のデコレーションケーキを発見した。猫である。にらみつけたが反応がない。

 ケーキの猫の横にはこれまた漫画チックなネズミ型ケーキだとか、城っぽいのとか、まあメルヘンチックな空間がそこにあった。猫型は残り1個だけなのに対し、ほかは何個も並んでいる、どうやら猫は人気商品らしい。

 賑わいの中、冷蔵ケースの前を3歩進んで3歩下がる感じで、相変わらず視線を合わせようとしないケーキの猫を威嚇しながら、考えた。そして決心した。
 猫とネズミと1個ずつ買おう。「トムとジェリー」的なノリでいいんじゃないの?

 胸の高鳴りを抑え、ついに左足を踏み込み、ケースの後ろに立つ女性販売員との距離を一気に詰めんとする自分。
 ふいに、右斜め後ろにいた中年女性が「すみません」と声をかけてきた。こんなときに何だろう。

 なぜだか、カウンター越しに女性販売員が「はーい」と返事をするのである。その返事に合わせて、中年女性が「その猫のケーキ1つください」と言った。販売員が「はい、猫のを1つですねえ」と返した。スムーズなやりとりであった。
 振り返ると、中年女性はにっこりしていた。ただ、その笑顔はこちらではなく、まっすぐ猫に向けられていた。

 踏み込んでいた左足を何事もなかったかのように戻し、数秒立ちつくした。このメルヘンワールドの中で、圧倒的に猫の存在感が際だっていたのだ。ネズミ2匹で妥協するか。ネズミと城では意味がわからない。

 しかし人生には、考えていても始まらないこともある。まず人に聞き、情報収集してから考える方が有効なこともある。

 猫をケース裏側から取り出そうとしている販売員を横目に、赤いメガネをかけた別の女性販売員に思い切って聞いてみた。
 「猫、もういなくなっちゃった? 奥にいたりしません?」

 きょとんとした赤メガネは冷蔵ケースに視線を移して、瞬間的に苦々しそうな表情を浮かべてから笑顔に戻り、
 「見て参りますので~」
 と下がっていった。

 右横では、あの猫が着々と箱に詰められていく。中年女性は財布を握りしめ、ワクワク顔で待っている。
 すぐに赤メガネが戻ってきて言った。
 「ご用意ございますぅ。何個にしましょうか」

 聞いたかいがあったというものだ。
 「1匹。ネズミも1匹ね」

 帰宅し、夜、妻に2つのケーキを見せた。
 もちろん店での話はしていない。好きな方を食べてくれと言ったら、妻は「かわいいー」と言ってネズミのケーキを食べた。
 

2011/03/13

[Землетрясение] У меня всё нормально.地震:札幌は大丈夫

 
 В Саппоро безопасно. У меня всё нормально.
 Всем, СПАСИБО за добрые твиты, дм. непременно Япония преодлеет.

 東日本大震災(平成23年東北地方太平洋沖地震)が11日14時46分に発生しました。
 札幌市内は震度3と、それほど大きな揺れではありませんでした。僕は自宅マンションでPC作業中でした。揺れが何分も続くことに驚いて15時前にテレビをつけたものの、そのときはまだ津波の観測もなく、家屋倒壊の情報もほとんど入っておらず、あまり深刻に受け止めないままPCに戻りました。
 夕方再びテレビをつけて津波の映像に驚愕し、事態を認識した次第です。

 北海道では根室や函館など沿岸部で被害が出ていますが、海に面していない札幌は浸水等の心配は当面なく、その後の余震もほぼ感じることなく、平穏です。

 被害甚大な岩手・宮城・福島・茨城の沿岸部に直接の知り合いはいませんが、心配をしております。被災者の方々には心からお見舞い申し上げます。
 

2011/03/05

サイトデザインに凝らない理由

 またまた「日露ビジネスジャーナル」ネタです。恐縮です。

 サイト準備段階から何人かに言われたのが、「見た目がシンプルすぎる。もっと写真や色を使ってビジュアルにした方がよい。ロゴマークも決めた方がよい」という意見だ。

 ごもっともである。だが、僕は今の時点でデザインに凝るつもりはない。見る人の好みで評価が大きく分かれるので、神経使い始めるとキリがないからだ。
 極論だが、どんなふうにしても誰かが「こりゃセンスないね」と批判する。そして、「○○に写真を入れた方がいいよ」「××をこの色にすべき」などと、てんでバラバラな"親切なアドバイス"をくれるのである。

 僕は、超シンプルで文字主体なのも立派な1つのデザインだと考えている。
 詳しい人が見ればすぐわかるが、日露ビジネスジャーナルは、ネット業界で非常に普及している「WordPress」というソフトで制作している。ページのデザインは何百(何千?何万?知らないが)種類とあって、ひな型から選べるのだ。凝ったデザインのひな型も膨大にあり、相当数を試して検討したが、最終的には超シンプルなものを選んだ。

 「このサイトはテキストで勝負します」というメッセージのつもりである。限られた時間、デザインを研究するヒマがあったら、取材と調査と執筆に力を入れたい。

 ただ、断っておくとデザイン面で1点だけ、1-2週間のうちに変更する予定がある。
 「日露ビジネスジャーナル」という題字を、背景写真入りの画像にする。実験の実験で以前につくった「ロシアビジネスナビ」の雰囲気に近いものにしようと思っている。

 あと、考えてるのがロゴマークだ。どうしようかなあ。
 記事更新お知らせ用のTwitterアカウントには、Windows付属の簡易お絵かきソフトでつくった即席のロゴを使っている。どんだけ手抜きか一度見てみてほしい。→ http://twitter.com/nichiro_bj/

 ロゴというものは、本気で採用するならそうそう変更すべきじゃないので、つくるならちゃんとしたデザインを発注して、しっかり選びたい。だが、まだ実験段階である今そこまでやる必要があるのかどうかが判断しかねる。
 ネット好きの人は、しょせん他人事だから面白がって「できることは早くやっておくべき。さあ次はロゴだね」と言うが、来年、どんな形で本稼働できるのかまだ見えておらず、今後コンセプト変更だってあるかもしれないし、そこまでやる意味あるかなあ。まあ思いついてひょいとつくっちゃう可能性もあるけど。

 ところで、インターネットに詳しい(と自分で思っている)人の中に、ネットに関してはとにもかくにも何かアドバイスをしてあげることが親切だと信じている人が時折いる。で、僕にもアドバイスしてくれようとする人も時々いる。そのこと自体は嬉しいことだ。
 ただ、できれば知っておいてもらいたいのだが、僕自身、ネットについては一般人の中では結構詳しいのである。
 まだWebブラウザーが「モザイク」だったころ、いわゆるポータルサイトがNTTのページだったころから、ネットの発達を見続けてるのだ。昔の話だが第2種情報処理技術者という資格も取っている。

 アラフォーの元新聞記者なんてネットのこと何にも知らないんだろう、という前提でいろいろ教えてくれようとする人がたまにいて、はっきり言って知ってることばかり聞かされて、正直うんざりすることもある。
 「そうなんですかー、お詳しいんですねー」などと話を合わせながら心の中で舌を出している、僕が悪いのかもしれないけど。 

2011/03/01

祝いの言葉をいただきました

 先週末に情報ブログ「日露ビジネスジャーナル」を始め、一部の人に知らせたら、何人かから「サイト開設おめでとう」というメールやつぶやきをいただいた。
 ありがたいことである。突然会社辞めて北海道に引っ越してあいつ今ごろ何やってんだかと思っていた人には、それなりに活動していることの証明になったかもしれない。

 しかし、正直なところを書いておきたい。
 おめでとうと言われて、僕は戸惑った。びっくりした。そんな反応を想像していなかったのである。「あれ、これ実はめでたいことだったの?」という感じだ。

 考えてみれば、自分が逆の立場だったら迷わず「おめでとう」と言うだろう。仮に脱サラした知人がラーメン屋を始めたら「開店おめでとう」と、そりゃそう思うし、実際そう言うさ。かつて小売業の取材を担当する新聞記者だったとき、新店オープンの取材に行ったら経営者や店長つかまえて必ず「おめでとうございます」と言っていた。

 しかし今の自分に、めでたいとか、何かを達成してうれしいという感覚はない。今やっていることにはたくさんの面白い出会いがあって楽しくて仕方がないのだけど、はっきり言ってしまえば、サイトを立ち上げるまでなら僕じゃなくても誰でもできる。ネットサービスというのはそれぐらい新規参入が簡単で、大変なのは質を落とさずに続けることの方なのだ。
 ここまでは全然大変じゃない。ただ楽しいだけだった。

 レンタルサーバーや独自アドレスの管理費用などせいぜい年間数千円。本当にありがたいことにノーギャラで原稿を寄せてくださる方々もいる。僕自身が北海道外にも積極的に取材に行こうとしているので交通費が一番かかっていて、たぶんすでに10万円は使ってるが、20万円には届いていない。その程度なのだ。たとえば開業資金20万円でラーメン屋が出せるか? ありえない。

 大事なのはサイトを開設することじゃなく、発信し続けること。続けることを通して情報が集まる仕組みをつくり、その結果、いろいろな人の役に立つサイトになることだ。それが1つのゴールだと思っている。

 いやいやいやいや、もちろんうれしいんですよ、「おめでとう」と言ってもらえるの。お祝い大募集。あれ?
 

2011/02/28

Обычные японцы об Украине (ウクライナのイメージ)

 
 このブログは日本とロシア、その次にウクライナの人が読んでくれてます。
 ウクライナと言えば僕の大好きな総合格闘家・ヒョードルの出身地であり、もう試合してないけどやはり僕の大好きな格闘家、イゴール・ボブチャンチンの母国。というわけで個人的に好感度高い国なのです。でも正直日本では認知度低いと思う。ボブちゃんの独特のフックは「ロシアンフック」なんて呼ばれてたし。

 僕はウクライナ語は全然知りません。でもウクライナ人の多くはロシア語が読めるらしいので(好んではいないはずだが)、率直な印象を書いてみました。炎上しないことを願う。ロシア語はもちろんTwitterのお友達に添削してもらってます。

Обычные японцы об Украине. В опросе приняли участие 100 человек.
[Это не настоящее исследование. Плод ВООБРАЖЕНИЯ Ёсимуры.]

«Знаю название» 95 человека
---(статьи счёта)
--- «Знаю, что это такая страна» 35
---«Думаю, что это одна из республик Российской Федерации» 25
---«Страна, или часть России... не знаю» 35

«Точно знаю, где расположена Украина» 5

«Знаю имя "Виктор Янукович"» 3
---«Знаю, как выглядит Виктор Янукович» 0.5

«Знаю, только как выглядит Юлия Тимошенко» 20
---«Знаю имя, и как выглядит Юлия Тимошенко» 4

[примечание] Украйнская(тоже русская) имя сложный для японецев, поэтому запомнят только лицо.

«Знаю о существовании украинского языка» 20
---«Думаю, что украинский и русский язык — это почти одно и то же» 17

Для меня Украина — родина кикбоксёра "Ігора Вовчанчина". Я очень люблю Вовчанчина.

Дуже дякую!!

## Благодарю @filachan за поддержку. Всё ошибки объясняютсь Ёсимура.

2011/02/25

ネット媒体「日露ビジネスジャーナル」開始

 
 情報解禁。

 ネットだけで読める媒体「日露ビジネスジャーナル」の実験運営を始めました。

 http://www.nrbj.info/

 上記のURLから飛んで「サイトについて」などを読んでいただければわかりますが、日本-ロシア間のビジネスにまつわる身近な話を載せていこうとしています。
 掲載コンテンツはまだ少ないものの、協力してくれる方々のおかげで、しばらくは毎日更新(平日のみ)できるぐらいのネタのストックがあります。

 率直に言って大衆受けするテーマじゃないのでアクセス数は稼げませんが、社会的な意義を信じて、ゆっくりじっくりやっていこうと思います。

 これからどうするのかって?
 これもサイトに書きましたが、あまり先のことは考えていないのです。
 一体どうなることやら。

 でも、わくわく。
 

2011/02/17

風と光と四十の私と


 好きな作家を聞かれたら坂口安吾と答えている。

 高校時代に「堕落論」を読んで以来、あこがれの存在だ。僕は文学少年ではなかったが、坂口安吾だけは全集を買った。
 大学生のとき京都市伏見区に住んだのは、安吾が長編「吹雪物語」を書くときに伏見に住んでいた、との話が影響している。20代のころは安吾を意識して丸眼鏡をかけていたこともある。

 困難から逃げられない状況になると、堕落論の一節である「人は正しく墜ちる道を墜ちきることが必要だ」という言葉が勝手に脳裏に浮かんでくる。
 それぐらい作品中の言葉は僕に焼き付いているのだが、正直に言うと、ここ数年は作品を読み返すこともなく、作家自身のことはしばらく意識しなくなっていた。

 2日前、ある取材のために新潟入りし、久しぶりに思い出した。新潟は、坂口安吾が生まれ育った土地だ。生家の跡地近くにある記念施設「安吾 風の館」の存在を地図で知り、気がついた。

 僕は昨秋に東京の新聞社を辞め、いまは札幌を拠点に時折取材旅行のような形で各地に足を運んでいる。新潟に来たのはこの一環だ。もし新聞社にいれば今も東京で仕事をしているはず。ここで安吾を思い出したことになんだか宿命めいたものを感じ、空き時間に施設を訪ねることにした。

 訪問は結局、新潟最終日の今日になってしまった。朝、施設の公式サイトを読んでいるうち、説明文中の「2月17日」という文字が目にとまった。今日だ。なぜ、今日の日付が載っているのかわからないまま読み進めた。

 1955年2月17日。56年前の、今日。
 今日は、坂口安吾が亡くなった日だったのだ。

 昼前にバスで行ってみると施設はこぢんまりしており、静かだった。僕以外の客は1人だけ。市内中心部から離れた寺に安吾のお墓があり、ファンや関係者はそこに集うらしい。
 時間の関係で墓参はあきらめ、肌寒い展示室で、壁に貼ってある年表を読む。

 安吾は24歳から東京の大田区蒲田に住み始めている。その後転々とするのだが、家族は長く蒲田にいたようだ。僕はつい半年前まで、大田区に住んでいた。住所には「大森」という地名が入っていた。蒲田のすぐお隣である。

 安吾が代表作「堕落論」「白痴」を発表したのは39歳。誕生日が来れば40歳になる年で、今の僕と同じだ。僕も今、始めようとしていることがある。

 単なる偶然なのはわかっている。だが、興奮を禁じ得ないまま、氏名入りの原稿用紙や写真パネルを眺めて歩いた。

 安吾の有名作の1つに「風と光と二十の私と」という随筆がある。心の病を患って薬物を常用し、周囲ともトラブル続きで苦しい人生を送った安吾が、唯一例外的に平穏だった若い時期を回想する内容だ。
 施設をあとにするころ、急に読み返したくなって、夕方に新潟駅前の書店で文庫本を買った。覚えていなかったのだがこんな一節があった。

 「人の命令に服することのできない生れつきの私は、自分に命令してそれに服するよろこびが強いのかも知れない」

 僕も人に命令されるのが嫌いな人間だ。フリーランス志向なのも、何らかの影響を受けていたのだろうかと思えてくる。

 勝手な妄想であることを承知で言えば、坂口安吾の魂が、今のこのタイミングで、僕に「がんばれ」と言ってくれているような気がしたのだ。
 いや、安吾のことだ。「がんばれ」ではなく「苦しめ」かもしれないけれど。

 

2011/02/09

ゴミ出しの一風景

 朝8時半。マンションのすぐ前にあるゴミ捨て場に、不燃物を捨てに出た。
 晴天とはいえ、気温はマイナス4度。部屋着に薄いダウンジャケットを羽織っただけではやはり寒く、定位置にゴミ袋を置いて足早にマンション玄関に戻った。

 出入り口はいわゆるフロントオートロックだ。ドアを開けるためマンションの鍵を差し込もうとしたら、なぜか鍵穴に入らない。手元を見たら、自分が持っていたのは車の鍵だった。

 やっちまった。マンションの鍵と間違えて車の鍵だけ持って出てきてしまった。
 さっき妻子を送り出したばかりで、部屋には誰もいない。大家さんに連絡しようにも携帯電話も持っていない。
 まあいい。朝だし、ほかの部屋の住民が出てくるだろう。誰かがドア開けたときに笑顔で通ればいい。そう考え、立って待つことにした。

 1分。3分。5分。
 隣の道で、駅やバス停に向かう人たちの、雪を踏む音がかすかに響いている。
 おかしい。このマンションは少なくとも10世帯ぐらいは住んでいるはずだが、人の気配がしない。
 ガラス越しにマンションのホール内を見る。1階に止まっているエレベーターの照明が省エネ機能で暗くなっている。

 ん? お? 下っ腹が急速に重くなってきた、
 便意である。元気一杯に押し寄せてきた。
 おおっ、んんっ。
 ガラスドアに、誰もいない空間で角度30度のお辞儀をしてプルプル振動している男が映っている。自分だった。

 10分。15分。
 だんだん、足先が冷えてくる。自分が立っているのは玄関前の、横に郵便受けが並んでいるような空間で、一応ガラス扉1枚で外気とは隔たっているのだがやはり零度近いはずだ。
 厳しい。そろそろ奥の手を使うか。
 実は最初から思いついていたのだ。インターホンでお隣の部屋の人に事情を話して、ロックを解除してもらう方法。
 正直近所付き合いと言うほどの交流はないが、引っ越したときにご挨拶には伺っているし、その後も何度も駐車場などで顔を合わせている。乳児がいたはずなので、おそらく誰か大人が部屋にいらっしゃるだろう。

 お隣の部屋番号を押した。
 しばらく呼び出し音が響き、スピーカーから「カチャッ」と音が聞こえた。ああ助かった。
 だが、音の続きはなかった。呼び出し時間が長くなり、無反応だから自動的に回線が切れただけだった。

 そのときである。

 おおっ。ぬおおおっ。
 便意の第2波が襲いかかってきた。さっきと桁違いに勢いを増している。大腸で実力をつけてきた野郎どもが勝負をかけてきた。
 んんんんんんっ。
 もはや、この場で用を足すという選択肢を検討せざるを得ない状況になってきた。マンションの玄関前に人糞が落ちていたらマズいだろうか? いや、人糞ではなく犬の糞だと言い張ればいいのではないか? しかし、このあたりで犬を飼っている世帯を見たことがない...。

 名案が浮かんだ。
 外に出て雪の上で素早く用を足すのだ。そして、周囲の雪をかけて隠してしまう。こうすれば、人のか犬のか判別は難しいはず。完全犯罪だ。

 しかし。しかしである。
 用を足した後、どうやって、自分の尻を拭けば良いのだろうか? 北海道の冬は、木の葉っぱなどない。雪ばかりなのだ。捨ててあるゴミ袋をあされば紙が見つかるかもしれない。だが、今日は不燃物の収集日だからな...金属で尻を拭くのも人類の経験として悪くないかもしれないが、冷たいだろうし...。
 解決策を思いつかないまま下腹の張りに耐える。ガラスドアに、60度のお辞儀をしたまま固まった男が映っている。

 ...そうだ。自分は車の鍵を持っているではないか。
 車でまずは近所のガソリンスタンドに寄ってトイレを借り、そのあと妻の職場に押しかけて、妻が持っている部屋の鍵を借りるのだ。

 すでにゴミ捨てから30分強が過ぎていた。いっこうに、人の出入りする気配はない。このまま待っていても当分変化はないだろう、と確信めいたものが芽生えてきた。ならば、早く次の行動に移った方がよい。

 前屈みになりながら駐車場に向かう。その途中で、お隣の部屋の車が停まっているのに気付いた。
 お隣さん、実は部屋にいるのではなかろうか。乳児の世話でてんてこ舞いになってるときにインターホンを押してしまい、それで応答してもらえなかったのじゃないか。
 もう一度だけインターホン押してみよう。それで出なければあきらめよう。

 引き返して、入り口ドアの前に着いた瞬間、ごくたまに見かける20代後半ぐらいの女性が、今から仕事に出かける雰囲気で向こう側に立っていた。
 ブーンと音がして、いつものようにドアが開いた。

 例えて言うなら「外出して今戻ってきたところです、ちょうどタイミングが同じになっちゃいましたね、えへへ」みたいな顔で会釈して、建物に入った。

 フロントオートロックのマンション、気をつけましょう。

2011/01/30

ロシア語能力検定のことですか?

 このブログで昨年5月に書いた「ロシア語能力検定4級を受けた」に、時々アクセスがある。
 受験しようと思っている人が検索エンジンで見つけるみたい。ちなみにこの文章は、独学のロシア語学習の力試しに受験してみたのだけどあまり出来が良くなかった、という段階で書いたものだ。

 結果を言うとこの4級は合格だった。簡単だったとは敢えて言わないが、本屋に売ってる初心者向け文法書をザックリ、でも一通りやっていればたぶん大丈夫な水準だったと思う。同じ文法書を、ザックリじゃなくてシッカリやっておけば、たぶん3級も受かるのじゃないのだろうか。

 4級は学び始めた人向け、3級がいわゆる「初級」らしい。専門的にロシア語を習っている人は、最低限3級ぐらい合格していないと格好がつかないだろう。ただ、3級の人に会ったことがあるが、ロシア語で会話ができるというレベルではなかった。

 今の自分は、この検定を目指して勉強する心境にはない。
 通訳者や翻訳者、学者になりたいわけじゃないので、そもそも高水準の語学力なんかいらない。再びサラリーマンに戻ることなく生きるのが理想だから、就活用のアピール材料をつくりたい気持ちもないのだ。

 まだブログで詳細を書く時期ではないが、僕は自分なりの目的で、ロシア語しか理解しない人たちとの意思疎通をやれるようになるつもりだ。それが実現するころには、検定○○級合格という称号ではなく、独自の人脈という形で力が証明されることになる。

 たまたま当ページを訪れたロシア語能力検定受験者の方々には、試験対策も心構えも書いてなくて申し訳ないのだが、あえてこう聞いてみたい。
 「あなたはそのロシア語を使って、何をやりたいですか?」
 

2011/01/27

「伊達直人」のロシア語解説を投稿したら

 前回のブログ投稿で、「タイガーマスク現象」のロシア語版ミニ解説を載せた。児童養護施設や児童相談所に「伊達直人」からの贈り物が届く、2010年末から続いてる例のアレだ。
 当初はTwitterで書く気だったが、1回140字の投稿ではとても書ききれないのでブログ記事にした。

 キリル文字ばかり数十行並んでて、実はちゃんと読めるロシア語になってるので「独学でもこんなに書けるの?」と驚いた人がいるかもしれない。もちろん、僕だけで書いたのではない。
 電子辞書叩いて間違いだらけの元原稿をつくり、ツイッターで僕をフォローしてくれてるロシア人に頼んで、Googleのファイル共有機能使って添削してもらったのである。

 おかげで、記事を読んでくれたロシア人から「よく書けてた」「興味深い話だ」「アニメのPR戦略じゃないの?」など、さまざまな感想をいただいた。
 アクセス履歴を見ると、記事公開から2日間でロシアから100人近くが読みに来てくれたようだ。なーんだ少ないじゃんと思われるかもしれないが、つい最近まで日本語だけで、ほとんど更新もしていなかった無名ブログとしては画期的な数である。

 それにしても今回はネットの面白さを堪能した。
 僕は決してツイッター万歳系、ネット万能論系の人間ではないのだが、会ったこともないロシア人が文章作りに協力してくれて、記事を読んでくれて、反応を返してくれるこの現実は素直に面白い。

 英語でタイガーマスク現象のこと書いた人なら何千人といるはず。だがロシア語はそれほど多くないはずだから、読み手にも希少価値は認めてもらえただろう。

 書き手としては、読者の反応が見えるのが何より励みになる。新聞記者時代も、思い入れのある独自ネタを書いたあとはネット検索して、見知らぬ人のツイッターやブログで話題になっているのを見て充実感を得ていたものだ。

 語学の勉強にもなるから、ロシア語でまた記事をアップしてみようかなあと思い始めている。ただ、なじみの薄いキリル文字が増えすぎると日本人がアクセスしなくなるかもしれないし...ちょっと悩ましい。
 

2011/01/24

Тигр, Аниме, и Пожертвование(タイガーマスク現象の話)


Знаете ли вы японского профессионального реслера, которого зовут Маска Тигра?

Это герой старого аниме, выпущенного в 1968 году. Что удивительно, в последнее время Маска Тигра появляется в разных местах Японии.

Это произошло 25 декабря 2010 года.
Управление префектуры Гунма получило от анонима в подарок 10 школьных рюкзаков(ранцев). К подарку прилагалось письмо: «Отдайте, пожалуйста, детям».

Отправителем значился «Дате Наото»(伊達直人)-— в аниме это было настоящее имя Маски Тигра.

В аниме герой Дате вырос в детском(сиротском) доме и стал профессиональным реслером. Он всегда заботился о детях и делал пожертвования детскому дому из призовых денег, выигранных им на соревнованиях.

О случившемся в префектуре Гунма сообщили газеты и телевидение.
Через несколько дней управление другой префектуры получило анонимный подарак. Это были рюкзаки и письменные принадлежности. С письмом. Отправитель — «Дате Наото».

После этого подарки от Дате Наото начали появляться почти каждый день в разных местах. Рюкзаки, игрушки, спортивные снаряды, иногда наличные деньги… Это были разные разные люди, но своих имён они не называли. И сейчас это явление всё ещё продолжается.

Например, японским мальчикам, которые смотрели аниме «Маска тигра» в 1969 году, сейчас за 50. И эти пожилые люди, которые узнали из ТВ о подарках от Маски Тигра, вспомнили аниме и начали тоже делать пожертвования, несмотря на экономический кризис.

Я думаю, что японцы хотят совершать хорошие поступки, но хотят делать это неприметно.

Эта история подлинная, которая тронула меня, и она мне очень нравится.

 
## Маска Тигра(Тайга-Масуку=タイガーマスク) Комикс 1968-1971 , ТВ Аниме 1969-1971

## Аниме «Тайга-Масуку» официальный сайт(по-японски) --> http://www.toei-anim.co.jp/lineup/tv/tigermask/

## Благодарю @keXek @filachan @Baka_Chibihime on Twitter за поддержку. Всё ошибки объясняютсь Йошимура.

2011/01/18

オロロン街道を進むもの Судно на дороге


北海道北部です。日本海沿岸の国道、通称「オロロン街道」を走っていたときのこと。
気が付くと2台先は船でした。

Для меня это редкостный вид.

2011/01/08

吹雪と大家さん

 
 財布がない。

 気付いたのは、保育所に息子を迎えに行く車の中だった。着ているジャンパーのポケットに入れてたはずなのに、嫌な予感がして手を入れたら空洞だった。

 外は激しい吹雪。路面の新雪がタイヤに踏まれて、運転席の下からググッググッと音が響く。ワイパーがフロントガラスの雪を払いのけるが、風に乗った雪がすぐに張り付いて数秒で視界がかすむ。

 そうだ、きっとあのとき落としたんだ。

 つい1、2分前、マンションの屋外駐車場から車を出すとき、吹雪の中で車に積もった雪を下ろす作業をした。車の上に手を伸ばしたりしてジャンパーが引っ張られるうちに、落としてしまったに違いない。

 粉雪が積もった地面では、小さな物を落としても音がしない。それどころか、少し気付かずにいれば上から雪が覆い被さり、たちまち見えなくなってしまう。

 財布にはキャッシュカードやらクレジットカードやら、家計にかかわる大事な物がいろいろ入っていた。なくなったら洒落にならない。

 焦って駐車場に引き返して、定位置の少し手前で車を停めた。何分か前に車を置いていた場所はもう真っ白。周囲より雪の高さがやや低いだけで、財布など影も形もなかった。雪しかなかった。

 車を降り、降り積もっている雪の浅い部分を左右に蹴散らしながらウロウロしてみた。出てくるのは白い雪ばかり。蹴散らした雪が強風に押し返されて自分に吹きかかる。何一つ見つからないまま、夕闇がじわじわと周囲の明るさを奪っていく。

 駐車場の奧に男性の人影を見つけた。人影の方もこちらに気づき、近づいてくる。薄暗がりの中、ジャンパーのフードの奧に、マンションの大家さんの顔が見えた。

 「財布を落としちゃったみたいなんです」
 「ええ、そりゃ大変だなあ。ほんとにここなの?」
 「もしかしたら勘違いで、部屋に置き忘れてたり、マンションの廊下に落としてたりするのかもしれないけど」
 「見てきた方がいいね」

 雪だらけのまま、部屋に戻ってみた。冷たい濡れた靴下で歩き回って財布を捜すが、やはり見あたらない。廊下にも何も落ちていない。
 すぐに吹雪の中に戻り、周囲の雪をかきながら車のそばに向かった。

 状況は何も変わらず、雪がゴウゴウと降り続けている。どうやら大家さんも駐車場の別の場所を探してくれているらしい。もう一度、自分の車の周辺の雪をかき分けてみる。だが、相変わらず雪しか出てこない。

 こういうことかもしれない。
 サラサラの雪のため、軟らかくて、落ちた財布がすぐに深く沈んでしまったのかもしれない。もしそうなら発見は難しそうだ。

 もしそうなら、春に雪がとけるまで待つしかない。
 クレジットカードは紛失を届け出て、とりあえず無効にしておくか。
 現金は手の打ちようがないから、そのままか。

 しかし、根雪が消え始めるころ、一体どうやって見つければいいのだろうか?
 確実に最初に見つけ出さなければ誰に拾われてしまうかわからないし、人ならまだしも、カラスか何かの動物に持って行かれる可能性もある。

 突然大きな声が聞こえて、遠くで人影が揺れた。
 「あったよ! これじゃない?」
 駆け寄るといつもの財布が8割方雪で白くなって、大家さんの手にあった。

 「ありがとうございます!」
 「よかった。このあたりかき分けてみたら出てきたよ」

 そこは、マンション出入り口から駐車場の定位置までの途中地点だった。自分でも一応探したが、見つけられなかったところだ。

 大家さんが、今日ほどいい人に見えたことはなかった。後光が差していた。

 吹雪の日に野外で落とし物すると大変、という話でした。