2011/01/08
吹雪と大家さん
財布がない。
気付いたのは、保育所に息子を迎えに行く車の中だった。着ているジャンパーのポケットに入れてたはずなのに、嫌な予感がして手を入れたら空洞だった。
外は激しい吹雪。路面の新雪がタイヤに踏まれて、運転席の下からググッググッと音が響く。ワイパーがフロントガラスの雪を払いのけるが、風に乗った雪がすぐに張り付いて数秒で視界がかすむ。
そうだ、きっとあのとき落としたんだ。
つい1、2分前、マンションの屋外駐車場から車を出すとき、吹雪の中で車に積もった雪を下ろす作業をした。車の上に手を伸ばしたりしてジャンパーが引っ張られるうちに、落としてしまったに違いない。
粉雪が積もった地面では、小さな物を落としても音がしない。それどころか、少し気付かずにいれば上から雪が覆い被さり、たちまち見えなくなってしまう。
財布にはキャッシュカードやらクレジットカードやら、家計にかかわる大事な物がいろいろ入っていた。なくなったら洒落にならない。
焦って駐車場に引き返して、定位置の少し手前で車を停めた。何分か前に車を置いていた場所はもう真っ白。周囲より雪の高さがやや低いだけで、財布など影も形もなかった。雪しかなかった。
車を降り、降り積もっている雪の浅い部分を左右に蹴散らしながらウロウロしてみた。出てくるのは白い雪ばかり。蹴散らした雪が強風に押し返されて自分に吹きかかる。何一つ見つからないまま、夕闇がじわじわと周囲の明るさを奪っていく。
駐車場の奧に男性の人影を見つけた。人影の方もこちらに気づき、近づいてくる。薄暗がりの中、ジャンパーのフードの奧に、マンションの大家さんの顔が見えた。
「財布を落としちゃったみたいなんです」
「ええ、そりゃ大変だなあ。ほんとにここなの?」
「もしかしたら勘違いで、部屋に置き忘れてたり、マンションの廊下に落としてたりするのかもしれないけど」
「見てきた方がいいね」
雪だらけのまま、部屋に戻ってみた。冷たい濡れた靴下で歩き回って財布を捜すが、やはり見あたらない。廊下にも何も落ちていない。
すぐに吹雪の中に戻り、周囲の雪をかきながら車のそばに向かった。
状況は何も変わらず、雪がゴウゴウと降り続けている。どうやら大家さんも駐車場の別の場所を探してくれているらしい。もう一度、自分の車の周辺の雪をかき分けてみる。だが、相変わらず雪しか出てこない。
こういうことかもしれない。
サラサラの雪のため、軟らかくて、落ちた財布がすぐに深く沈んでしまったのかもしれない。もしそうなら発見は難しそうだ。
もしそうなら、春に雪がとけるまで待つしかない。
クレジットカードは紛失を届け出て、とりあえず無効にしておくか。
現金は手の打ちようがないから、そのままか。
しかし、根雪が消え始めるころ、一体どうやって見つければいいのだろうか?
確実に最初に見つけ出さなければ誰に拾われてしまうかわからないし、人ならまだしも、カラスか何かの動物に持って行かれる可能性もある。
突然大きな声が聞こえて、遠くで人影が揺れた。
「あったよ! これじゃない?」
駆け寄るといつもの財布が8割方雪で白くなって、大家さんの手にあった。
「ありがとうございます!」
「よかった。このあたりかき分けてみたら出てきたよ」
そこは、マンション出入り口から駐車場の定位置までの途中地点だった。自分でも一応探したが、見つけられなかったところだ。
大家さんが、今日ほどいい人に見えたことはなかった。後光が差していた。
吹雪の日に野外で落とし物すると大変、という話でした。
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